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アデル・ド・トゥールーズ・ロートレック伯爵夫人は、結婚で得た持参金のおかげでシャトー・マルロメを手に入れ、夫のアルフォンス伯爵から遠く離れて暮らすこともできました。アルフォンス伯爵はとても変わり者で、弓矢での狩猟に没頭していたのです。夫妻の息子のアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、有名な絵画・リトグラフ作家で、マルロメを頻繁に訪れていました。ロートレックはマルロメを愛していて、ここでの滞在を大いに楽しみました。『アンリはひたすらに描き続け、そして、気晴らしに、ボートを漕いだり、父親からもらった道具で弓を引いて矢を打ったりしました』。

ロートレックは、休息するためにマルロメを訪れていたのですが、しかしながら、かなり活動的に過ごしていたようです。立派な家族の肖像画をいくつか、描いています。母のアデル伯爵夫人が主にロートレックの絵のモデルでした。
ロートレックは人生の最後の日々をマルロメで過ごし、1901年9月9日に亡くなりました。そして、ヴェルドレの墓地に埋葬されました。

ロートレックがとても大切に思っていた風景と復元されたベル・エポック期の住居によって、シャトー・マルロメを訪れる人々にロートレック一族が暮らした環境を経験していただけます。建物の住居用翼棟の内装はロートレックの時代のままで、そこではいくつかの壁に、この有名な画家の足跡をみることができます…。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファは1864年にアルビで生まれました。けれども、アンリは幼少時代をパリと、オード県にあるスレイアン城で、貴族一家の雰囲気の中で過ごしました。そこでは、乗馬と狩りに対する情熱的な嗜好と同様に名誉と勇気が幅を利かせていましたが、父や祖父、2人の叔父と同様に、アンリも絵画を愛しました。

1878年、2本の大腿骨を骨折した彼は、治療不能の骨の病気が原因と診断されましたが、それから仕事にさらに打ち込むことによって、病気を乗り越えました。トゥールーズ=ロートレックは芸術に生きたのです。後期印象派の画家、アール・ヌーボーのグラフィック作家、そして突出したリトグラフ作家となりました。19世紀後期のパリのボヘミアンな暮らしも描きました。

モンマルトルの魂とマルロメ

トゥールーズ=ロートレックは、パリで住んでいた“モンマルトルの魂”と言われていました。彼の作品には、ムーラン・ルージュでの人々の様子が描かれ、モンマルトルや、パリにあった他のキャバレーや劇場でも彼は、(歌手の)アリスティード・ブリュアンや、自分が頻繁に足を運んでいた売春宿の住人を描きました。1891年にはムーラン・ルージュのためのポスターを制作し、この音楽ホールのスターを『ラ・グーリュ(La Goulue)』という作品で不朽にしました。リトグラフ(版画)が高い評価を得るようになったのも、彼のおかげなのです。

ひたすらにワインを愛する、洗練されたワイン愛好家としてアンリは、自分のワインに対する深い愛情を次のように面白おかしく、優れたユーモア精神で茶化しました。「牛がブドウを食べるなら、私は牛乳を飲むよ」と。アンリはワイン園を楽しみ、毎年パリへいくつものワイン樽を送って、友人と一緒にパリの自宅でワインを瓶に詰めなおしました。

病に煩わされた短い人生でしたが、この画家の作品は非常に多岐に渡っています。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは天才で、多才な芸術家でした。有名なアール・ヌーボーのポスターを作ったほかにも、後期印象派画家、驚くべきリトグラフ作家、そして、才能あふれる芸術家でした。彼の作品には、絵画737点、水彩画275点、ポスターとリトグラフ369点、そして、スケッチがおよそ5,000点、あります。アルビにある美術館は、彼のほとんどの作品を所蔵しています。